教員の語る「教養教育」とは

3.11後の教養教育での試み

総長特命教授  福西 浩

 3.11の東日本大震災は、巨大津波と原発事故によって東北地方の沿岸部に壊滅的な被害をもたらしましたが、東北大学は「東北復興の先導」をスローガンに、教員、学生、職員が一体となって多彩なプロジェクトを展開しています。今回の大震災ではっきりしたことは、専門家の判断も時には間違うことがあるということでした。「マグニチュード9.0の巨大地震は発生しない」、「日本の原子力発電所では全電源喪失というような過酷な事故は絶対に起こらない」というような専門家の判断は正しくないことが明らかになりました。しかし専門家の言葉がいつも正しいと考える私たちの思い込みこそまず改めるべき点ではないでしょうか。民主的な市民社会が成り立つための条件は、専門家やマスコミが発信する情報が時には意図的に操作されたものを含むことを前提にして、一人一人が自分の責任で適切な判断をしていくことができる能力を身に付けることだと言われています。

 

 それではどのようにすれば適切な判断力を身に付けることができるでしょうか。教養教育の第一の目的はまさにこの「一人一人の適切な判断力を養う」ことだと思います。未知のものへの知的好奇心を高め、広い学問領域から様々な発想法を学び、それらを統合することによって初めて自分なりの判断が可能になると思います。震災復興に貢献するためにも、また暮らしやすい社会の建設に貢献するためにも、適切な判断力は不可欠です。学部1、2年生は3.11後に東北大学に入学した学生たちですので、震災復興に貢献したいという意欲を特に強く持っています。こうした意欲に応えるためにも適切な判断力を養う教養教育の充実が求められています。

 

 教養教育の第二の目的と考えられることは「グローバル人材の育成」です。教養教育の重要性の認識が日本だけでなく世界各国で高まっているのは「グローバル化」との密接な関係が考えられます。国境を越えてものと人が激しく流動している今日の世界では、相手の考え方を互いに尊重し、その信頼関係を基盤として協働していく能力が必要不可欠になります。この能力は政治・経済・社会・文化の分野においてはもちろんですが、国際化した大学の教育・研究活動でも当然必要になってきます。グローバル人材とは、単に英語などのコミュニケーション・ツールを習得した人ではなく、専門が違う相手の考えや相手が持っている能力を尊重し、それらの人々とのコラボレーションによって独創的な仕事を成し遂げられる人と言うことができるでしょう。

 

 それでは適切な判断力を持ち、グローバルに活躍できる人材を育成するための教養教育とはどのようなものでしょうか。初年次教養教育で最も重要なことは、受験勉強という狭い枠の中に閉じ込められた知性を開放し、学ぶことの楽しさを知ってもらい、知的好奇心を高めることです。高校までの教育では、大学入試を突破するための最も効率的な勉強という観点で、早い段階から理系・文系に分けられ、入試に関係ない科目は切り捨てられてきました。学びを楽しむ余裕など全くなく、先生とじっくり議論した経験もほとんどの人がもっていません。そこで「高校までの学び」と「大学での学び」の違いを言葉で説明しただけでは1年生には理解できません。彼らは高校での自分の経験から、最少のエネルギーで教養教育の段階をクリアし、少しでも早く専門教育の段階に進むのが就職に有利と考えています。でもそうした狭い考え方こそ就職に最も不利に働くということを気付かせることが教養教育の最初のステップになります。

 

 東北大学に4年前に設立された教養教育院では、「新入生の知性を活性化する」ためにさまざまな試みを行ってきました。私は今年の4月に教養教育院総長特命教授となり、教養教育の4つの授業(基礎ゼミ2クラス、基幹科目1クラス、総合科目1クラス)を担当することになりました。そこでまず教員と学生のコミュニケーションを活性化する方法として、A4サイズの質問・コメントシートを作り、担当する4つの授業すべてで毎回配布し、90分授業の最後の10分間をシート記入の時間にあてました。翌週、授業の最初に前回の質問・コメントシートを各自に戻し、シートに書かれた内容を整理して回答していきます。シートは質問の項(理解できなかった内容、より詳しく説明してほしい事柄など)とコメントの項(気づいたこと、感じたこと、授業への希望など)の2つに分かれており、両方に記入してもらっています。最初は質問もコメントも2~3行しか書かれていませんでしたが、このやり方に慣れるにつれて空白がないほどぎっしりと書くようになってきました。質問・コメントシートは学生の好奇心を刺激するだけでなく、学生が何に疑問を感じているのか、何がまだ理解できていないのかが分かり、授業を工夫する上で大いに役立っています。

 

 授業では自分自身の教育・研究活動の経験をなるべく多く語るようにしています。その理由は、教養教育の最初の段階では知識の量を増やすよりも、学び方や研究の仕方について知る方がより短期間に学生の知性が活性化されるからです。私は南極観測隊に4度参加し、オーロラの研究の他に夏隊長や越冬隊長も経験しました。またアメリカのスタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレイ校、アラスカ大学、ベル研究所などの研究者たちと共同でオーロラや雷放電による超高層発光現象(スプライト、エルブスなど)の研究を進めてきました。こうした研究に東北大学から多数の大学院生が参加し、南極観測やアメリカでの観測・実験を経験し、博士論文を仕上げた後に研究者として巣立っていきました。この経験から、「グローバル人材の育成」に関しては、その重要性を抽象的に語るのではなく、国際共同研究の中でどのようにして学生が育っていくのか、そのプロセスを語ることによって、グローバル人材の育成を自分自身の問題として意識してもらうようにしています。さらに、基礎ゼミ「未知への探究~南極観測から学ぶ」(25名クラス)、基礎ゼミ「宇宙天気予報に挑戦しよう」(24名クラス)では、小グループに分け、研究課題の選択、調査、考察、発表、レポート作成を行う他に、研究現場(本学理学研究科地球物理学専攻、国立極地研究所、JAXA筑波宇宙センター)の見学と研究者・大学院学生との交流を実施し、サイエンスの最先端に触れる工夫をしました。「3~4年後には君たちは世界トップレベルの研究チームの中で研究するようになるのだ」と言うと、学生たちの目の色が変わってきます。遠い先のことと思っていたのに、わずか数年でそのレベルまで自分を高める必要があると気づくからです。

 

 基幹科目(自然と環境)では、「雷放電から探る地球環境変動」というタイトルで、雷雲上空の放電発光現象がわずか20年前に発見されたこと、その発見に東北大学の私たちの研究グループが大きな貢献をしたことを説明し、科学の発見はどのようにしてなされるのかを身近な問題として考えられるように工夫しています。授業ではまたテーマを与え、学生同士がディスカッションするというスタイルの授業を数回行いましたが、活発な議論が展開され、「最近の学生は質問できない」という問題も工夫次第で大きく改善できることが分かりました。総合科目では、「急成長する中国の科学技術と経済」というタイトルで、私が2007年4月から4年間北京に滞在し、日本学術振興会北京センター長を務めた経験を基に、中国の高等教育、科学技術、経済の急成長の実態とその急成長を生み出す仕組みについて話しました。中国に関しては、日本のメディアからの情報が特定の問題に集中していることもあり、最初は驚くほど狭い視野で日中関係をとらえています。しかし授業の中でいろいろな視点から中国を見ていくうちに次第に視野が広がり、日中関係を自分自身の問題として考えるように変わっていきます。授業では中国と日本での受験競争などの問題について学生同士がディスカッションを行った他に、3回分の授業を中国の現場の第一線で活躍されておられる3人の専門家に担当していただきました。資生堂中国研究開発中心有限公司・総経理の石舘周三氏が中国での資生堂のR&Dについて、NHK取材センター国際部デスクの池畑修平氏が中国と北朝鮮の関係について、電通総研グローバル・インサイト部・研究主幹の安江真理子氏が中国における日本企業のマーケティングについて、それぞれ40分の講義を行った後で学生とのディスカッションを40分行い、3回とも白熱教室の雰囲気になりました。

 

 3.11後の教養教育について私が行ったいくつかの試みを紹介させていただきましたが、東北大学では教養教育を担当されておられるそれぞれの先生方がさまざまな創意工夫によって新たな教養教育を切り開かれようとされています。時間はかかりますが、そうした努力こそが震災復興と日本再生を担う人材の育成につながっていくと確信しています。

 

東北大学全学教育広報(曙光)第34号掲載