教員の語る「教養教育」とは

グローバル時代の教養教育

総長特命教授 福西 浩

はじめに

社会と経済のグローバル化と科学技術の急速な発展を背景に教養教育の改革が世界的に進行している。平成20年度に東北大学に設立された教養教育院は教養教育改革の先導的な役割を担っており、教養教育院所属の総長特命教授は教育・研究における豊富な経験を活かし、学生の学びへのモチベーションを高める授業を創り出すことが求められている。ここでは教養教育改革の背景とこれからの改革の方向について考える中で、私が担当した学部学生のための基礎ゼミ、総合科目、基幹科目で試みた様々な創意工夫について紹介する。

 

1.教養教育の役割

 教養は英語の Culture (耕作、養育)やドイツ語の Bildung (形成、教化)の訳語で、教育を「樹木の成長」に例えれば、教養はその成長を担う「肥沃な土壌」に例えることができるだろう。教養は知識ではなく、知性を活性化し、人を自由にするための力である。教養は人間としての総合力であり、幅広い視点から物事の本質を思考するための力である。したがって自分が獲得した知識や情報の量は数値化できても、教養がどの程度身についたかを数値化することはできない。

ではどうやったら学生たちは教養を身につけることができるだろうか。まず第一に必要なことは知的好奇心だろう。自然について、世の中の仕組みにつて、人間について、もっと知りたいという好奇心を高めることによって学びは起動する。第二に、自分の殻から飛び出す行動力が必要となる。様々な人々との出会いの中で自分が持っていなかった考え方を知り、コラボレーションの重要性を肌で感じることができる。第三に、知的好奇心と行動力を支えるためのコミュニケーションスキルが必要となる。特に外国語の習得はコミュニケーション能力を高めるためだけでなく、外国の異文化や思考法を学ぶために必要不可欠である。

 では大学の教養教育の役割は何であろうか。3.11東日本大震災の教訓は、専門家の判断も時には大きく間違うことがあるということだ。マグニチュード9.0の巨大地震は発生しない、日本の原子力発電所では全電源喪失というような過酷な事故は絶対に起こらない、というような専門家の判断が正しくなかったことが明らかになり、専門家の判断がいつも正しいと考える私たちの思い込みこそまず改めるべき点だと教えてくれた。それではどのようにすれば私たちは適切な判断力を身に付けることができるのだろうか。教養教育の第一の役割はまさにこの「一人ひとりの適切な判断力」を養うことであろう。そうした力があって初めて個人が社会に貢献することが可能となる。教養教育の第二の役割はグローバル人材の育成だろう。教養教育の重要度が日本だけでなく世界各国で高まっている状況はグローバル化との密接な関係がある。国境を越えてモノと人が激しく流動している今日の世界では、相手の考え方を互いに尊重し、その信頼関係を基盤として協働していく能力が必要不可欠になる。この能力は政治・経済・社会・文化の分野においてはもちろんだが、国際化した大学の教育・研究活動でも当然必要になってくる。

 

2.グローバル時代に必要とされる人材

 最近、グローバル人材という言葉が盛んに使われ始めた。企業はグローバル人材を求め、大学はグローバル人材の育成を目指し、メディアはグローバル人材に関するニュースを頻繁に取り上げている。その背景にあるのは経済のグローバル化と科学技術の急速な進歩による社会の多様化だ。従来の日本の企業は終身雇用と年功序列制度によって従業員に全面的な忠誠を求める自由度の低い組織だった。従業員は企業を発展させるために必要な人的資源と考えられていた。しかし今日の加速するイノベーション時代では、従業員のモチベーションを上げ、個々の能力を引き出し、組織全体の競争力を高める必要が出てきた。企業と従業員がともに成長していくパートナーの関係となる自由度の高い組織がこれからの企業の姿である。さらに、グローバル人材を必要としているのは大企業だけでなく、日本のあらゆるところだ。例えば、少子高齢化社会を持続可能な社会にしていくためには国家も地方自治体も、世界のさまざまな取り組みに学び、新たな方策を考え出さなければならない。中小企業でも農業でも、世界から学び、世界に向けて製品や生産物を送り出すことが当たり前になってきた。

 

3.真のグローバル人材を育む教養教育

グローバル人材というと市場経済で活躍できる人材と考えがちであるが、市場経済の時間スケールは非常に短く数年程度である。しかし私たちが生きていく持続可能な社会の時間スケールはもっとずっと長く、少なくとも100年程度は考える必要がある。この長い時間スケールを基準にして社会に貢献できる人材を『真のグローバル人材』と呼べば、こうした人材の育成こそが教養教育の目指す方向であろう。

グローバル人材に関してはさまざまな考え方があり、決った定義はないが、国際的に使われ始めたグローバルタレント(Global Talent)に近い概念と考えられる。グローバルタレントとは全ての人、一人ひとりが才能、個性、強みをもったタレントであるとみなし、その人材が持つ能力をグローバルな視点で最大限に活用しようとする考え方である。グローバル人材に一番必要な能力は、答えがない問題にグローバルな視点で取り組み、解決策を見出す能力であろう。「グローバルな視点」というのは世界標準のものの見方があるとかアメリカやヨーロッパの真似するとか、そういうことではなく、「多様な角度、切り口から物事を考る」という視点である。世界には様々な考え方があり、一つの出来事に対しても様々なアプローチが考えられる。真のグローバル人材は、多様な切り口から物事を考え、これまでに他の人が思いつなかった新しい見方を世界に提供できる人だ。

真のグローバル人材になるためには、多様性への適応力、コミュニケーション能力、斬新な発想力、タフな行動力を高めていかなければならない。多様性への適応力を高めるためには日本人としてのアイデンティティをベースにした異文化への深い理解と尊重が必要となる。コミュニケーション能力を高めるには英語はもちろん第2外国語や情報スキルをマスターしなければならない。斬新な発想のためには問題を違った視点から見る力や幅広い知の統合による構想力、論理的思考力が必要となる。また行動力を高めるには未知へのチャレンジ精神とリーダーシップが必要となる。これらの能力が専門的スキルの獲得を目指す大学の専門教育だけでは得られないのは明らかで、教養教育の充実が必要不可欠となる。

 

4.東北大学での教養教育改革

東北大学では教養教育を重視し、專門教育と教養教育の相乗効果によってグローバルに活躍できる人材の育成を目指している。受験勉強型から「大学での学び」に切り替えるための基礎ゼミに加え、平成25年度からその発展型としての展開ゼミもスタートした。語学教育や情報教育の改革も進んでおり、短期・長期留学コースも拡充してきた。平成26年度からは学部・大学院一貫の新しい教養教育プログラムもスタートすることになっている。このように東北大学の教養教育は日々進化している。

しかしまだ十分でない部分もかなりある。最大の問題は日本の大学生の学習時間がグローバルスタンダードからかけ離れている点である。東京大学大学経営政策研究センター の全国大学生調査(2007年)によると、日本では70%の学部学生が週に5時間以下しか勉強していないが、米国ではそうした学生はわずか15%で、60%の学生は週に11時間以上勉強している。日本の大学生の学習時間がきわめて少ない理由として、①学生の目的意識、②社会・企業が大学生に求める能力・人物像、③単位の評価システム、④大学入試制度、⑤小中高時代の教育など、様々な要因が考えられる。しかもそれらの要因が互いに複雑に絡み合っているので、特定の要因だけを取り上げ、その解決策を検討しても効果はあまり期待できない。しかしこの問題は大学のレベルを直接左右する問題であり、大学教育システムの大胆な改革が緊急課題となっている。

米国の大学では奨学金給付学生の選考や大学院進学者の希望コースの選考は全てGPA(Grade Point Average)によって行われている。また大企業はGPAを非常に重視し、面接の基準(大部分の企業が3.0以上、一部は3.5以上を希望)として使用している。その理由はGPAを用いた学生の能力評価の研究が非常に進んでおり、信頼性が高く、どの大学のどの教授の授業をとったかも考慮できるようになってきた。日本の大学が一番遅れているのはGPA評価ができていない点で、学習に多くの時間をかけた意欲的な学生と楽勝科目に流れた学生の間で評価にあまり差がつかないという問題がある。

 

5.教養教育での創意工夫

教養教育の改革のためには教育システム全体の見直しと同時に個々の教員の創意工夫が必要不可欠である。ここでは自分自身の担当した学部学生のための基礎ゼミ、総合科目、基幹科目で試みた様々な創意工夫について紹介する。

 

(1) 教養教育の意義の明確化

教養教育で最も重視すべきことは、高校までの「受験のための勉強」という狭い枠に閉じ込められた知性を開放し、学ぶことの楽しさを知ってもらい、知的好奇心を高めることである。しかし1・2年次学生は専門教育には強い関心を示すが、教養教育への関心が低い学生もかなりいる。そこで担当した全ての授業の中で、自分自身の中高生時代、学部時代、大学院時代、米国留学、研究活動等での経験を語ることによって、教養教育によって視野を広げ、コミュニケーション能力やコラボレーション能力を高めることが専門教育やその後の社会人としての活動にいかに役立つかを理解してもらうように努めた。私は中学時代に南極でオーロラを研究するという夢を持ち、東京大学に進学し、第1次南極観測隊長を務めた永田武教授の研究室でオーロラの研究を始めた。その後、南極観測隊に4度参加し、夏隊長や越冬隊長も経験した。またアメリカのスタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレイ校、アラスカ大学、ベル研究所などの研究者たちと共同でオーロラや雷放電による超高層発光現象(スプライト、エルブスなど)の研究を進めてきた。こうした研究には東北大学から多数の大学院生が参加し、南極観測やアメリカでの観測・実験を経験し、博士論文を仕上げた後に研究者として巣立っていった。こうした経験を語ると、学生たちは現在の学部での学びが将来の大学院や社会での活動とどのようにつながっていくのかイメージでき、学びの意欲が高まった。

 

(2) 学生とのコミュニケーションを蜜にする工夫

教員と学生の双方向コミュニケーションを密にするために、自作のコミュニケーション・ペーパーを活用した。東北大学全学教育用コミュニケーション・ペーパーとしてはミニットペーパーがあるが、記入するスペースが狭く、また質問とコメントが分離されていない。そこで新たにA4サイズの質問・コメントシートを準備し、質問の欄(理解できなかった内容、より詳しく説明してほしい事柄など)とコメントの欄(興味をもったこと、気づいたこと、自分の考え、授業への要望など)を分けた。毎回、授業の終わりの10分間をこのシートへの記入時間とした。次週の授業の最初に先週の質問・コメントシートを学生たち戻し、10~15分間は質問への回答時間とした。回答のやり方は、学生の質問・コメントを整理した項目ごとにパワーポイントで回答すると同時に、配布資料とした。授業を重ねるごとにシートへの記入量が増え、内容も豊富になり、学生の授業への参加意識を高めることができた。受講学生からは、自分の質問への回答が翌週あり、疑問が直ぐに解決できるのでとても良いやり方だと思うとの感想が多数寄せられた。

 

(3)ディスカッション形式の授業

基礎ゼミ「未知への挑戦―南極観測から学ぶ」、基礎ゼミ「宇宙天気予報に挑戦しよう」では小グループに分けた課題学習を実施し、授業では毎回小グループからの途中経過の報告と全員でのディスカッションを行い好評であった。展開ゼミ「惑星探査技術を学ぶ」では一人ひとりが課題学習に取り組み、授業では毎回全員が経過報告を行い、それに対してディスカッションを行った。講義形式で行った基幹科目(自然と環境)「雷放電から探る地球環境変動」、総合科目「オーロラから探る宇宙環境」、総合科目「急成長する中国の科学技術と経済」でもディスカッション形式の授業を何回か実施した。議論するテーマを前もって学生に与え、自分の意見を準備してもらった。ディスカッション授業では、まず10名ほどの学生に意見を発表してもらい、その後、疑問点を整理し、それらの問題に対する考えを自由に発言してもらった。学生にとって自分が考えていなかった考えを他の学生から聞くことは大きな刺激であり大変好評であった。「東北大学の教養教育ではディスカッション授業がほとんど実施されていないので新鮮だった」、「教養教育の最も効果的な方法と思うのでこの形式の授業をもっと増やすべき」との感想が多数あった。

 

(4)外部講師の招聘

総合科目「急成長する中国の科学技術と経済」では企業・メディアの第一線で活躍している社会人を外部講師として招聘し、中国に関するホットな話題を提供してもらった。基幹科目「自然と環境」では東北大学出身の若手研究者に超高層雷放電現象に関する最新の研究成果と研究方法について語ってもらった。また基礎ゼミでも東北大学理学研究科の教員に宇宙天気予報や南極観測に関する最新の研究成果を語ってもらった。外部講師が違った視点で語ることによって学生の視野が広がり、大変好評であった。

 

(5)研究現場の見学と交流

基礎ゼミでは東北大学理学研究科、JAXA筑波宇宙センター、国立極地研究所(東京都立川市)等の研究現場を見学し、研究者や大学院学生と交流する機会を何度か設けた。学生への大きな刺激になっただけでなく、訪問先の研究者側にとっても若い学生たちからの率直な疑問に答えることがよい刺激になったと感謝された。

 

(6)スライドと動画の活用

 講義ではスライド(パワーポイント)を主に用い、理解を助けるために動画も頻繁に使用した。スライドは、読みやすいようにA4用紙1ページ4スライドの規格で白黒印刷し、配布資料とした。オーロラ、超高層雷放電発光現象、衛星観測、惑星探査機、南極観測、太陽観測、宇宙空間観測等では動画が好評で、理解を深めるために大いに役立った。

 

(7)ISTUでの配布資料の提供

授業で使用したスライド(カラー版)はPDFファイルとしISTU(東北大学インターネットスクール)で授業の配布資料として毎回提供した。授業で配布する資料は白黒印刷なので、カラー版の資料の提供は受講学生に大変好評であった。

 

(8) 成績の付け方の工夫

成績は、出席と授業ごとに提出する質問・コメントシート(A4サイズ)の評価を70%、最終レポートの評価を30%とした。出席と質問・コメントシートの評価を厳密に行うために、出席しただけでは評価せず、質問・コメントシートに書かれた内容(知的好奇心、想像力、発見力、理解度など)で総合的に評価した。

 

おわりに

教養教育で自分自身が行っている様々な創意工夫について紹介したが、東北大学に入学した学生の多くがわずか1・2年で急速に成長していく姿を見て、個々の学生がもつ素晴らしい潜在能力を開花させることこそ教養教育の真髄であると実感している。そのためには教養教育を担当する教員のたゆまぬ努力が求められている。