教員の語る「教養教育」とは

いつまでも残るもの

総長特命教授 福地 肇

 皆さんは、これまでの学校の授業を思い起こしてみて、授業の中身はきれいに忘れてしまったが、先生が脱線して話してくれたことは不思議と記憶に残っている、という経験はありませんか。
 大学の教養教育がこの「脱線」に似ているところがある、と言ったら叱られるかもしれませんが、自分のなかに、なんらかの姿でいつまでも残るものがあれば、それは教養教育の効果だと思います。
 昭和41年、大学新入生の私は、一般教育の英語の授業ではじめてシェイクスピアの原文に接しました。今の時代なら確実に非難されるテキスト選びですが、私はむしろ「難しいことに奇妙なありがたみを感じ」ていたように思います。
 3年生のとき、教室の外に出て、先生の指導のもとで、仲間と実際に舞台で演じました。作品は 「マクベス」(Macbeth スコットランドの王位簒奪者の悲劇、実在の人物の物語)です。古い英語を舞台上で朗詠する一方、翻訳をセロファン紙に書き、大きな白い紙で作ったスクリーンに投影してお客さんに見せたことを思い出します。
 その後43年たってスコットランドを旅行しました。王を殺害した城、魔女から予言を聞いた荒れ野、古戦場など、マクベスの物語の場面を、あらためてテキストをたどりながら、巡礼したのです。

2012.8.2